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格闘家 / 指導者 インタビュー

ボクサー【一般社団法人地歌Mirai】 藤井貴博(ふじいたかひろ)さん

 

 

今回のゲスト ボクサー【一般社団法人地歌Mirai】 藤井貴博(ふじいたかひろ)さん

 

1989年5月、東京都目黒区で生を受けた藤井貴博さん。

 

江戸時代から地歌箏曲(じうたそうきょく)という伝統芸能を継承されているご家庭で育ちます。

 

そんな藤井さんの格闘技との出会いは高校時代。

 

総合格闘家山本KIDに憧れてKILLER BEEジムへ入門します。

 

その後、ボクシングをやっていた父の影響でボクシングをはじめ、大学2年生の時にプロデビュー。

 

2012年東日本新人王Lフライ級準優勝、2019年7月には日本Sフライ級8位の仁平宗忍(ワタナベボクシングジム)を下し、一気に日本ランカーまで駆け上がります。

 

さらに2020年10月には小久保聡(三迫ボクシングジム)にも勝利。

 

2021年6月ついにWBOアジアパシフィック&日本スーパーフライ級タイトルマッチで王者・福永亮次(角海老宝石)へ挑みましたが惜しくも敗れてしまい、プロボクサーは引退します。

 

その後、2023年2月、リングから金網のゲージへ身を移し、自身のルーツであった総合格闘技へ挑戦を開始。

 

現在は総合格闘家のアマチュアとして一からトレーニングを積む一方、地歌箏曲を継承する家元の長男として一般社団法人地歌Miraiを設立。

 

日本の文化を世界へ発信していく活動にも注力しています。

 

今回は藤井さんのプロボクサー時代の話題だけでなく、総合格闘家としての目標や、一般社団法人地歌Miraiの活動も交えながらインタビューをさせていただきました。

 

 

――ボクシングとの出会いを教えてください。

 

父親がボクシングをやっていたことがきっかけでした。

 

中学生の時には、K-1などの格闘技が盛り上がっていました。

 

自分も山本KIDさんや魔裟斗さんに憧れていて

 

「あのリングに立ちたい」

 

と思うようになったんです。

 

山本KIDさんが展開していたKILLER BEEジムにも通いました。

 

そんな中で、パンチの練習をするために地元、学芸大学にある笹崎ボクシングジムへも入門しました。

 

そこでパンチの練習をしているうちに

 

「ボクシングの方が痛くないかも」

 

「簡単そう」

 

という、とても安易な気持ちでボクシングへ転身したんです。

 

その後の高校時代、ボクシングジムが僕にとって学校と呼べる場所でした。

 

高3の時にプロライセンスを取得し、毎日ずっとトレーニングに励みました。

 

 

――大学在学中にプロボクサーへ、ご両親の反対はなかったのですか

 

両親から特に反対はありませんでした。

 

僕は家族が継承する伝統芸能のお琴や三味線よりも運動が好きな子どもでした。

 

高校でボクシングを反対されなかったのは、父がやりたかったことを僕がやっていたからだと思います。

 

本当は父自身も家業を継ぐのではなく、若い頃は体育会系へ進みたかったという思いがあったそうです。

 

 

――藤井さんは大学でプロデビューされています、どんな学生時代を送られていましたか

 

日本体育大学へは、一年浪人して入りました。

 

私生活をしっかりできないと勝てる選手にはなれないと思って、自ら厳しいゼミに入り研究していました。

 

学校は日本を代表するアスリートがたくさんいて、同じクラスにK-1デビューした戸邊隆馬という選手がいたので、彼に感化されて自分も刺激を受けながら、いつも仲良くさせてもらっていました。

 

お互いに高め合えるような仲間と過ごすようにしていたんです。

 

 

――辛かったことはありましたか

 

卒業後はバイトをしながら、プロボクサーを続けていましたが、周りは社会人になり、当たり前ですが結婚して所帯を持つなど変化していきます。

 

人と比べても意味がないことは頭ではわかっていても、どこか劣等感で段々とプロボクサーであることがコンプレックスに…。

 

 

また、2012年に出場した新人王トーナメントでは、試合がコンスタントにありました。

 

もともと心が強い人間ではないので、常に減量と試合に対する恐怖やストレスを異常なほど抱えていました。

 

試合の度に減量して、終われば減量と恐怖のストレスから解放された反動で、普段は食べたいとは思わない物まで食べまくってしまっていました。

 

リバウンドを繰り返してもコンビニで大量にお菓子を買い、食べてはトイレで吐く、気が付けば過食症と鬱になっていました。

 

過食をしては吐いて、飲まず食わずで走るなどの過剰運動をしてもうまくいくはずもなく…。

 

サウナに6時間入って体調を崩して、迎えに来てもらうなんて日もありました。

 

計量当日は関係者の前で200gオーバーしていて、すぐに東京ドームを4周走ってなんとかクリアするなど…。

 

今では笑い話ですがコンディションを作るのがとても下手でした。

 

これは僕だけでなくアスリートあるあるで、スポーツによるストレスの恐いところだと思います。

 

 

――どのようにして乗り越えたのですか

 

摂食障害と鬱で苦しんだ時期は物事に全く興味が湧かない、無気力、味がしない、目の前が灰色に見えるなど。

 

このままだと死ぬと思い、一旦ボクシングから逃げました。

 

長野県佐久平に行って農業をやり、20代の自分が経験できることをやろうと方向を変えてみたんです。

 

休みにはテントを持ってアルプスへ登山もしました。

 

学生時代から歩荷のバイトもしていて、今でもトレイルランニングレースに出場することもあって、山を走っています。

 

でも、農場から通える距離にボクシングジムがあることを知り、こっそり所属するジムには内緒にして通い始めたんです。

 

 

――ボクシングに本格的に戻れたきっかけは?

 

僕がボクシングから離れている間に、新人王で一緒に出場していた選手が世界チャンピオンになったんです。

 

あと、同じジムに所属にしていた大竹秀典先輩が世界戦で戦っていました。

 

自分の時間は止まっているのに、関わっていた人がリングの上で結果を残している事実に嫉妬したんですね。

 

 

当時の自分はボクシングに依存する事でしかアイデンティティを保てませんでした。

 

覚悟を決めて東京に戻りました。

 

そこで先輩が開業したボクシングジムで働かせていただきました。

 

新しいフィジカルトレーナーとの出会いもあり、

 

姿勢改善や呼吸のトレーニングなどに重点を置くようになりました。

 

素敵な職場と新しいトレーニングの相乗効果で、

 

段々と体重や体調も心身ともに落ち着きました。

 

日本ランキングに入ってからは連勝しはじめました。

 

「これでチャンピオンになれる!」

 

と、勢いで2021年5月22日にタイトルマッチ組んでもらいましたが、

 

コロナによって緊急事態宣言発令のため延期に…。

 

念願の3冠王者とのタイトルマッチ。

 

「このチャンスを逃したくない」と人生をかけてトレーニングに励んでいた状況でした。

 

世間では「国が決めたことだから仕方ない」と言いますが、

 

現役アスリートにはそんな言葉じゃ済まされない辛さがありました。

 

 

――当時は、アスリートとしてコロナに対する取材を受けられましたよね

 

そうですね、コロナ禍での怒りが頂点に達していました。

 

自分から鳥集さんというライターさんにD Mを送りました。

 

「自分を取材してほしい」と。

 

おかげさまで、この取材をきっかけに医療業界の方々とも繋がることができました。

 

ネガティブなことだけでなく、ポジティブに向いていきたいですね。

 

 

 

――試合はどうなったのですか?

 

延期になった試合は翌月、2021年6月21日に開催されました。

 

そこで福永亮次選手と対決しましたが、8回K O負けで倒されました。

 

倒れてからは一瞬記憶もありませんでした。

 

気が付いたら運ばれていて

 

「あ、終わったんだな」

 

って思いました。

 

もうやりきったので後悔はしていません。

 

帰る頃会場を出たらファンや、関係者だけでなく、

 

対戦相手の福永選手のファンも拍手で迎えてくれて驚きました。

 

 

――藤井さんはタフで明るそうですが、試合では緊張しないのですか?

 

体力はバケモノですが笑 こんな風に見えて、試合前は世界一緊張しています。

 

周りには見せませんが、自分は弱い人間だって自覚しています。

 

 

――どんな人がボクシングに向いていると思いますか?

 

体力があって頑丈、尚且つ主体性があって運がいい人です。

 

ボクシングは怪我をしやすいです。

 

怪我なく現役選手でいられるのも運の強さだと思います。

 

自分で環境に順応するあるいは環境を変える力を身につけるいい機会です。

 

変化に怯えず、自分で未来を切り開いてください。

 

 

――これからボクシングを始める人へ

 

敷居が高いと思われがちで、実際に内輪ノリも強いです。

 

でも、昔よりも気軽に通えるジムが増えています。

 

迷っている人はあらゆる情報を見て、とにかく行って体験してみてください!

 

 

――ところで藤井さんは今、総合格闘技に挑戦されてるのですね

 

そうなんです!僕のルーツは高校の時に始めた総合格闘技です。

 

このまま、やらないで終わったら後悔するのと、ボクシングも人生で一番強い状態なのでチャレンジしてみました。

 

 

今は、教えてもらった事を丁寧に吸収しています。

 

「プロを目指す!」

 

と遠くにある憧れを追って大きな目標を持つというよりは、

 

目の前にある課題を一つ一つクリアしていく事に尽きると思います。

 

全てが新鮮で楽しいのと初心を思い出し、懐かしさで溢れています。

 

今はアマチュア3戦出たところで、ボクサーとは違う戦い方があることを知りました。

 

まだまだ寝技からの逃げ方も知らないことが多く、

 

それを知ることができただけでも大きな収穫だと思っています。

 

 

――格闘技以外でも力を入れていることがあるとか

 

実家が古くから続く地歌箏曲という伝統芸能を継承している家元で育ちました。

 

家元は銀明会(ぎんめいかい)といい、父 藤井泰和が3代目です。

 

僕は全く違う格闘技の道へ進みました。

 

でも今は一般社団法人地歌Miraiを運営させていただいております。

 

日本だけでなく世界へ向けて、地歌箏曲の素晴らしさと古典音楽の魅力について発信していくことを仕事にしています。

 

格闘技との二刀流ですが、ご興味ある方は是非応援よろしくお願いいたします。

 

 

藤井さん、この度はお忙しい中ご協力いただき本当にありがとうございました!

 

 

おわりに

藤井さんの運営されている一般社団法人地歌Miraiでは、九州系地歌箏曲の裾野を広げており、

 

多くの方々に古典音楽に触れる機会を提供しております。

 

ご興味のある方はぜひご覧ください。

 

 

 

藤井貴博さん SNS

Twitter:@twitter.com/fujiitakahiro19
Instagram:@takahiro_fujii_jiuta.mirai
一般社団法人地歌Mirai

 

 

<インタビュー&記事執筆:飯塚 まりな>

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